消化不良になる記事。(´ω`)
これって数日前のコラムに掲載されていた記事なのですが
何度読み返しても どこか違和感を感じてしまうのです。
感情労働って言う言葉が なんかスッキリしないのかも。
それと 文中に出てくる 職業上のペルソナ という表現。(・ω・)
感情労働っていうのがあるとして 疲労の最大原因は職業上のペルソナの強化
と結論付けられているように読めるのですけど
職業上のペルソナ自体を否定はしていない という点が腑に落ちない要因な気がします。
そもそも そんなのいらんのではないのでしょうか。
マックのスマイル0円だとか TDRのキャストさんのサービスとか
それがペルソナの上に成り立っているとも思えないのです。
なぜかというと 働いていることが楽しい と思っている人が
けっこう居るのではないんかい? と感じることも多いから。
そこでは仮面を被って自分の感情を殺すのではなくて
ある程度は 演じる という状態に自分を置いていたとしても
それを楽しむことが出来ているのではないかと思うのですわ。
それで 仕事が終わればオフステージな訳ですし
今日の演目は終了で 素の自分に戻っていくということなのではないのかな。
もし これが半ば強制されている やらされているっていう感覚なら
どんな業種であれ 感情でさえもこき使う 強制労働っすよね…。
要は やらされ感を失くせば 感情労働っていう概念自体
必要なくなるのかもしんないな と思いますた。
接客業以外で 狭いオフィスの中の限られた人間関係や
もう逃げ場のない縦社会の中だけに環境が限定される方が
よっぽど感情労働になりかねない気もするけどね…。
どっちでもいっか。(爆)
夜中に戯言。(・ω・)
一週間ぶりに書いてみる。(・ω・)
トミノの地獄。(・ω・)
今、この詩を音読すると死ぬとか不幸が起こるっていう
都市伝説があるそうです。
今日は何となく 朝から太平洋戦争のことやら何やら考えてしまい
昔っから すごく好きな詩なんですわ。
あまり豊かではない時代に 親が世間に子供を送り出すって
きっとこんな心情だったんじゃないのかなあって思います。
ここに出てくる姉や妹っていう存在も
この子たちが親元を離れて旅立つ存在なら
きっと血や火じゃなくて トミノと同じに
宝珠を吐くはず...。
鶯や金の羊、袋にいっぱいの旅銭を用意しても
どうにもしてやれない今後の苦労。
親がしてあげられるのは せめて針の山に
この子がひとりじゃないって感じられる
赤い留め針を打ってあげることくらいなんでしょうね。
戦争に行かなくちゃ行けない家族や恋人を見送ったひとたち。
きっと 鶯でも金の羊でも
出来るだけの物を持たせてあげたかったと思います。
それで何が変わるわけじゃないけど。
都市伝説として扱われるのは
トミノがどんなところを歩いていくのか
鮮明に情景を描けるからかなあ。
でも 生きてるって無間地獄に近く感じることも
きっとあるはず。
いつまでこの苦しさが続くんだろう って
絶望するしかなかったら 無間地獄をただ歩くことが何か
きっと分かると思います。
それでも生きようってするのが たぶん人間だし。
戦時下では色んな気持ちとか 色んな絶望とか
悲しいことが山積みにあったと思います。
都市伝説とか寝ぼけたこと言ってられるのも
平和があるからだって 改めて思いますわ。
以下、トミノの地獄載せておきますが
あまりお好みで無い方はスルーして下さいまし。
今日も何が言いたいのか さっぱり意味不明です。
ただ、日本人も外国の方も 戦争で命を落とされた方々
どうぞ 安らかに。
トミノの地獄
姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭(むち)で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩きやれ叩かずとても、無間(むげん)地獄はひとつみち。
くらい地獄へ案内(あない)をたのむ、金の羊に、鶯(うぐいす)に。
皮の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そう)林に谿(たに)に、暗い地獄谿七曲り(たにななまがり)。
籠(かご)にや鶯、車にや羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼け(なけ)よ、鶯、林の雨に、妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹(きつねぼたん)の花がさく。
地獄七山七谿(ななやまななたに)めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山(おやま)の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。