生きてきた足跡

読書メモですが 今回も暗いですw
この章のタイトルは 生体験 なのですが これは生きて経験したこと 生々しい体験など 解釈の幅が広い言葉のようです。
なので メモの見出しは 生きてきた足跡 にしました。
この 生きてきた者は この本を書かれた個人だけではなく 自分の先祖や民族という また広い人たちを指しています。
私たち日本人でいうところ 家系や血筋 同郷の人たち みたいなふうに解釈していいと思います。
その人たちが残してきた足跡を 私たちがつないで歩き続けている 証を残し続けているということです。
もう平成の時代には使ったらいけない言葉になっていましたが 人食い人種 っていう表現がありました。
インディアンだと あたまの皮を剥ぐ野蛮人 とか。
これって 果たして客観的な史実だったのか? その民族のすべてに そういった習俗や習慣があったのか?
例え そういう人たちがいたとしても 一面だけを切り取って誇張してはいないのか?
そう考えたときに これは一方的な視点から作られた イメージであり 他方を劣等と知らしめる手段だと気づきます。
この本を読むとき できるだけ狭い視点に囚われないように 敢えてテーマである人種問題より人間についてのみ
考えて行こうとしてきましたが この 他人の足跡を改ざんする行為については 人種問題は避けては通れませんでした。
未開地の野蛮人だから 連れて帰って奴隷にする。
未開の地だから入植して文明を与え そのために労働させる。
果たして本当に未開であり 野蛮であったのか?
そう判断した基準はなんだったのか?
この本の著者は自分を苦しめ 悲しませ ナーバスにさせる原因を ここに求めていきます。
けして そうではない。
医師として考えるのであれば その時代にあった医療は存在していた証拠はあるし アニミズムであっても信仰もあった。
そして 人はそこに 文化 を持っていたと考え 自分の誇りを取り戻します。
私が私である根拠はリズムだと書いています。
このリズムを 呼吸 と表現していますが 呼吸はウソをつかないからなんですね。
自分の内面を素直に表現する 早くなったり浅くなったり深くなったりする 自然な自分のリズムです。
そして これは生きるものに共通であり けして優劣によって変わるものではないと思い至ります。
大地に愛され 大地と共に生きてきた先祖たち。
これが 彼が行きついた足跡でした。
でも 職業柄 彼が得た リズム という根拠は 皮肉にも崩壊してしまいます。
このリズムを根拠にするのは あくまでも精神面でのものであって 肉体的に今までの「黒人」である彼を解放はしませんでした。
医学的に人種別の遺伝子や肉体的なことが解明されていくにつれて 彼の皮膚が黒い この事実は変わらないし
それを見る人の目も変わらないことに気づきます。
驚くのは この時代に黒人の皮膚を白くする薬が 大真面目に開発しようとされていたことです。
この時代の医学ってすげえいい加減じゃんって思うのは 黒人は脳が発達していないとか 精神遅滞があるとか
研究発表する白人の学者がいて それを信じる人たちがいたことです。
著者である彼が医師という職についたとしても 「黒人」の医者 という 他人の目から逃れる術はありませんでした。
これは彼だからではなくて すべての有色人種について同様です。
わざわざ 「白人」のっていう断りを入れるとするなら それは その世界で白人が少数派であったり
異文化の者として扱われるときしかないのでしょうね。
ことあるごとに 黒人の という枕詞がつけられ 自分を表現されていく。
彼は彼ではなくて 白人社会で生きてくのであれば 「黒人」の彼 でなければならないんですね…。
これを彼は 呪い と呼んでいます。
そして 自分の皮膚の黒さを呪い 白人になりたがる自分がいると書いています。
今までの章に出て来た 仮面 というのも 白人という仮面をつけたい黒人 という構図なんですね。
優位な方に同化したい そうすれば 「黒人」の という言葉から逃れられる。
著者はそれを客観視しようとしながら 結局は自分の中に同じものが在ることを認めます。
それでも 今まで繋がれてきた生体験を捨て去るのか? と自問自答します。
そして 彼は彼であること。黒人の彼であることを受け入れて行きます。
だって それ以外に 彼という人は存在しないのですから…。
今の時代で こんなことを言う人がいるとは思いませんが 皮膚に色がついている人種は罪人である証として
神さまがそういうふうに作った。だから 肌が白い人間は正しくて 神に喜ばれるべき存在だ。
なんて馬鹿げた時代なんだろうと 読んでいても呆れるばかりです。
ただ この考え方自体は 前回の ヒトラーは死んでいない と同様に 今も私たちの中に息を潜めているのも事実ですね。
もし そうでないなら 世の中ってもうちょっと生き易くなるんじゃないんですかね?
あの人よりも私の方が とか あの人ってあんなことして とか こういうふうに他人を見ることってなくならないですよね。
ただ その基準が肌の色や人種ではなくて 他のものにすり替えられたのが今の時代かなと思います。
この章の著者は かなりエモーショナルです。
このことについて書くとき 感情を抜きにすることは出来ないと 自身でも書かれています。
偏見っていう 他人の目と戦おうとしては挫かれての繰り返しです。
戦おうにも方法がみつからない 出口がみつからないんです…。
この 呪い ですが 根深いですね。
私にとっては他人事ではないというのか 変な人 っていうカテゴリーでの呪いだったかなw
理解しがたいとか よくわからない人だとか 常識から外れているとか。
身内からしたら 恥ずかしい存在だったり。
あくまでも他人の目を通せば 変な人 なわけで 他人の目 っていうのを気にするのを止めたとき
私自身は呪いから解放されたように思います。
肌の色を変えられないように 私の 変な人 も変えられないですから。
このあと 著者さんがどう変わっていくのか楽しみですが この章の終わりに 自分が不具(敢えてそのままの引用しています)であることを受け入れなよ そういう言葉を投げられ悲しみに落ちていきます。
私もわりとエモいので この著者さんを泣かすやつを ぶん殴りたくなったりします。
でも もし そういう行為に出てしまうのなら 相手の思うつぼなんですよね。
精神的に強くなるには 考えて 考え抜くこと。
きっと そうなってくれると願いながら 続きを読みます。

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