少し自分の話でも書こうかな。

もうコロナが長すぎちゃって どこにも行かないで本ばっかり読んでる日々ですが
昨日 少し辛らつなことを書いたような気がするので 今回は少し自分について書いてみようと思います。
先日のブログで コロナ禍に乗じた宗教の勧誘や ある一点だけの方向性を示すスピリチュアルについて
私なり苦言を呈する文章を掲載しました。
これは 確かに こういったことに関わる人にとっては 大変 不愉快な文章だったと思っています。
敢えて 人様の商売であったり 思想に口出しするのは 私はオウム事件をリアルタイムで見た世代だからです。
世の中ってある程度 成熟すればしたで 何か不安な要素があればあったで こういったことは繰り返し表面に出てきます。
そして こういったものに惹かれてしまうのは 私みたいにいい加減な人間ではなく 真面目に物事を考える人たちです。
先のオウムの事件には 高学歴でエリートと呼ばれた人たちが ものすごく多く関わっていました。
自分のやっていることの意味ってなんだろう? こんな人生に価値があるのか? そんなふうに真面目に考えるからこそ
目に見えない世界 精神世界に傾倒していくとも思っています。
修行をしたい そいういう気持ちでオウムに入信された方も多かったと聞きます。
私みたいないい加減な人間にとっては 日々を生きること この寿命をまっとうすることこそ 修行なんですけどね…。
日常から逃避したい 別の世界に飛び込んでみれば 自分は変わるのではないか? そんな気持ちにもなるのでしょう。
私は正法眼蔵読書会というコミュニティーの管理人をしています。
かといって座禅をするのかと言われれば まったくやりませんし できません。
でも 例えば丁寧にお粥を炊くことを 繰り返し続けているのは 座って座禅を組むのと同じなんですよ。
お粥には その時の自分が そのまま反映されます。
出来栄えによって その時の自分の心の形や在り方がわかります。
まあまあ 現在に至るまでのとっかかりとして インディアンのじいちゃんと暮らした期間がありました。
そこでしてきたことも この粥を炊くことと ほぼ同じだったと思います。
薪を割る 掃除をする たまに毛布を持って森に行って自分を知る そんな繰り返しです。
だから 私はシャーマンでもなけれメディスンマンでもないし お坊さんでも正しいブッディストでもありません。
じゃあ お前はなんなんだよ?っていうことになりますが ただ 自分の生き方をみつけて それを日々続けるだけの人です。
なんでまた こんなふうになったのか?といえば 私がまともな感覚で生きていこうとするなら この基盤をしっかり整える必要があったから というのが理由です。
今でこそ霊能者とか スピリチュアルカウンセラーとか 華々しい肩書がありますが 生まれつき そういう世界に片足を突っ込んでいて もっと違う生き方を選ぼうとすれば 毎度のことながら死にそうな痛い目を見ます。
なので 静かに今まで自分が知ったストーリーを伝えていくことと クライアントさん個人が行く先をみつけるための手伝い
その方のストーリーを一緒に探すというところに落ち着いています。
だから カウンセリングなんですよw
ここまでに至る間には いろいろな団体や個人を見てきました。
自己啓発 スピリチュアル 霊能 宗教なんかですね。
自分がどこにも属せない 属さないものだということも 身に染みて分かっています。
私は私のビジョンで生きていくしかない これが結論なんですよ。
だから それ以上にも それ以下にもなりません。
どこかで自分のビジョンがぶれたとき 私はたぶん生きていく術を失うとも思っています。
私の仕事は クライアントさんが自分のビジョンに出会うための道案内です。
それが クマの役割なので。
こんな不安定な世の中だからこそ 本当に自分の生き方の芯である 自分自身のビジョンを持って欲しいと思うし
こんなに情報が溢れかえった世の中だからこそ 流されない 人のビジョンに自分を重ねないこと。
これが とても大切なことだと痛感しています。
まあ これは先日の辛らつなブログの言い訳ですが こんなことを考えながら 仕事をしているやつだとお見知りおきくだされば
ありがたいです。
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