すごい理想ほど矛盾が多くなるね

先日の広島の原爆の日に たまたま目にしたゲバラの記事。
その次の日から たばこを変えました。
理由は安いからっていうのもあるんだけど ゲバラっていう人が惜しいなって思うことが多かったことを
あらためて思い出したからっていうのもありました。
もともと お医者さんだったけど いつからか革命と政治の世界に引き込まれて行き
キューバが落ち着いたあと 実質のナンバー2だったゲバラはキューバを去るんですよね。
そして 本格的にゲリラ活動を開始します。
その彼がゲリラ戦の最中 山中で読んでいたというのがトロツキーという人の本でした。
私は正直 革命とかゲリラ戦とか 政治的な思想に関心がないのですが どうしてこの人の本なんだろう?と思って
まだ 置きっぱなしにしていた トロツキーの本を読みました。
なるほどなあと思ったのは ふたりは境遇が似ていたと言えば 似ていたんだろうなっていうことでした。
社会主義の国ってトップはひとりでいいんですよ。
ナンバー2っていうのは 実際は必要ないというのか むしろ いらないんだろうということかと思いました。
トロツキーは暗殺され ゲバラも捕らえられ処刑されて命を落としました。
トロツキーさんの方は 事情も違うし国も違うし背景もちがうので まあ そういうことだよなっていうしかないのですけど
ゲバラには医師として生きる道もありました。 戦うんじゃなくて 命を救う側。
広島にきたときも資料館で この国の人は こんなことをしたアメリカに文句を言わないのか? と訊ねたそうです。
この時はすでに キューバのトップのひとりとして外交で来日していました。
私は この言葉は医師としてのゲバラが言ったものじゃないかな と思っています。
後の回想録に ゲリラになってから敵に奇襲攻撃を受けたとき 足元には弾薬を詰めた袋と医療セットの袋が転がっていて
どっちも持って行きたいけど 重くて無理だから弾薬を選んだ。 その時 医者は辞めたと話したとあります。
医者は辞められるけど 俺は辞められないとも。
この辞めたくない 俺 は 理想を追いかけるものだったんですね きっと。
でも それは 今までとは逆 人の命を奪う 自分の命も捨てることなんですよね。
処刑に際して撃つように命じられた兵士に お前はこれから人を殺す よく狙って撃て と言ったとか。
ホントは最期まで 命のだいじさって知ってたんだろうなと思うと ホントに他に方法はなかったの?って
惜しい気持ちになる人です。
宗教も思想もですが 理想的で崇高であればあるほど 私たちの行動は矛盾しますね。
理想のためなら何でもする そうなってしまうのも人間なんだろうなあとせつなくなったりしました。

人気ブログランキング