カンガルーの続き 価値観の問題

昨日のカンガルーの続きですが ふたつのむかし話があります。
むかし人間たちが、大きな焚火を囲んで感謝のお祭をしていました。みんな、手を叩いたり、大きな声で唄ったり、長い木の笛を鳴らしたり、大地の神さまに感謝をささげています。人間たちは、親しい隣人であるカンガルーから、肉を分けてもらっています。そのお礼の意味を込めて、カンガルーの踊りを捧げました。ぴょんぴょん飛び跳ねながら、大きな声でお礼の言葉を伝えています。小さな茂みの陰から、一匹のカンガルーがお祭を眺めていました。人間たちが自分たちの真似をして、お礼の踊りをしていることに腹が立ってきます。「ぼくたちは、あんなに不格好に跳ねたりしないじゃないか!」思わず人間たちの輪の中に飛び込むと、お手本を示すように跳ねて回ります。それを見た人間たちは、お祭のお礼に大地の神さまが与えてくれたと勘違いして、カンガルーをつかまえると、お祭の捧げものとして焚火で肉を焼いて食べてしまいました。精霊になったカンガルーは、神さまに文句を言います。「人間って、なんて自分勝手なんだろう?神さまはぼくを、捧げものになんかしてないのに。」神さまは、こう答えます。「人間たちはな、間違えなくちゃ生きていけないのさ。」
ある日のこと。カンガルーは、赤ちゃんをポケットに入れて散歩をしていました。そこに、大陸にやってきた白い人間たちが狩りにやってきます。お母さんカンガルーは、赤ちゃんを守るため、すぐに逃げ出しました。目ざとい白い人間たちは、先回りして、お母さんを待ち受けます。それを、遠くから、若い男のカンガルーが見ていました。「ずるい二本脚たちめ。弱いお母さんを追いまわるなんて。」彼はたいそう腹を立てて、白い人間たちの前に進み出ました。すると、人間たちは長い尖った棒を投げつけてきます。彼は軽く跳ねながら棒を避けると、二本脚たちと同じように、二本の脚で大地に立ちました。驚いたのは、棒を投げた人間たちです。若い男のカンガルーは、人間たちに殴りかかって行きました。たくましい腕は、人間の投げた棒よりも、ずっと力強く叩きつけられます。たまらなくなった人間たちは、その場から逃げ出して行きました。そして口々に「自分たちと同じように、あいつは立ち上がった。神さまが乗り移っているに違いない。」と怯えながら、神さまにお詫びを伝えていました。若い男のカンガルーは、呆れてこう呟きます。「二本脚で立てるのは、自分たちだけだとでも思っていたのか。」
これは価値観の違いを伝える むかし話です。
カンガルーが知っている神さまと 人間が思う神さまには隔たりがありますよね。
人間は自分の価値観だけで 神さまの存在すら都合よく解釈する そんなシニカルなお話でもあります。
二本脚で立てるのは人間だけ こういう驕りが招く勘違いもあります。
このお話のなかで 若い男の子のカンガルーは 守るべき弱い母子を守ることにフォーカスしていますが
人間は 二本脚で立つ自分たち以外の生き物 に脅威を感じて逃げ出しています。
そこには ほかの命に対しての敬意もなければ 尊重する気持ちもない そんなお話ですね。
もうひとつの祭りの捧げもの のお話もですが 自分たちの都合で相手が何を思うのか なぜ 自分たちの前に出て来たのか
そこを考えることもなく ただ神さまが褒美として与えたもの としか認識していません。
共存するいのち としては考えないという 人間ならではの価値観かもしれませんね。
カンガルーのメディスンは 私たちにとっては戒めの意味が強いものですが 限られた地域にしか生息しない動物だけに
そこに入り込んでいく人間との距離感や関係も アメリカや他の大陸の生き物とは少し違うのかと思います。
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