アイヒマン調書 読み終わった。

アイヒマン調書 やっと読み終わりました。
内容は 調書 なので事情聴取の書き起こしです。なので まあ言い訳やら嘘 自己弁護が満載なわけです。
そこには アイヒマンっていう人が ただのパーツとして生きるだけなのねっていう ものすごく浅い感想しかありませんでした。
あとがきを読んだとき はじめてアイヒマンっていう人を知る手がかりを みつけました。
それは イスラエルが取り調べを始める準備として読み込んでいた文献の中に アドラー という名前をみつけたことでした。
今でこそ アドラー心理学は他者比較より自分軸 というふうな解釈をされていますね。
ナチスはアドラーの 縦の平面 での組織であって アイヒマンはその中での生き方しか理解し得なかったということでした。
縦の平面って変な言葉ですよね。
横の平面と対になるものですが 要は はしごを登る人たちが一段ずつにいて 次の一段を上がるには上の人を落とすしかない
これが縦の平面です。なんで平面なのかというと 人のこころの中の捉え方なので 上側に平面が延びているだけで横が無い というふうに想像してください。
逆に横の平面という側面が 今の流行っているアドラー心理学なのかと思います。
縦で考えると苦しいですが 横にだけ平面が広がっているのであれば 誰かと競う 蹴落とす必要はないわけです。
このアドラーへの脱線からまた迷走してしまったのですけど アドラーは 自分の家族の事情などもあって
民主主義とか言っちゃっても 結局は暴力で支配すんじゃん っていう ちょっと斜に構えた解釈をしています。
なんでかっていうと 第一次大戦が民間人が大量に志願して ヨーロッパ全体の総力戦になったのは民意だったから。
民主主義だよ~っていうのを利用して 国を守れとか一致団結!みたいな方向に向く自分たちが正しい! そんな軍国主義へと上手く誘導した軍部を知っていたからのようですね。これは ヨーロッパに限らず 日本も同じだったのかと思います。
話は反れましたが 結局のところ アイヒマン個人の問題 というよりも なんで縦の平面に人は馴染んじゃうし それを逆に好むのか? そっちに問題があるのかなというところで終わりました。
ようやく 「エルサレムのアイヒマン」に移れます。
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