HSPとか自己肯定感とか

なんかね 今日は変なスイッチが入っちゃったので 描きたいことを全部 余すところなく書こうと思いました。
まず 最近よく目にする HSP というものですね。
定義によると
HSPとは
HSP (Highly Sensitive Person(非常に繊細な人)」はエレイン・N・アーロン博士によって神経の細かさや高ぶりやすさは感覚刺激に対する「繊細さ」がもとにあるという心理学的な概念という定義です。
ここで ひとつ注目したいのは あくまで 概念 であって ひとつの考え方に過ぎない という点です。
これはある採点表やスケールに当てはめていけば 多くの人が当てはまるのが現代かと私は思っています。
もうひとつの 自己肯定感が低いとか上げるべき という風潮もなのですが 肝心なところが見えていません。
そもそも あなた低いよね? っていうことろからスタートさせる前提で じゃあ上げていきましょう ということですよね?
これは あくまでも他者と自分の比較という階層意識を 平面 横並びに変えて行こうということかと理解しています。
このどちらもですが 別に本人に原因があるわけではなくて 私は現代の環境が大きな要因だと思っています。
人の顔色を見ながら判断する SNSの反応に気分が左右される 他人の目が気になる。
世の中の構造自体がおかしくなっているのは確かですし その中でこういった他者比較という基準に慣らされれば
敏感にもなりますし 繊細に空気を読もうとする 同じように傷ついた他者への共感も強くなるでしょう。
かといって組織は縦の平面の社会です。梯子の最下段から上にあがるには 他人を退けていくか 自分の上位が脱落するしかありませんよね。
私はこのHSPも 自己肯定感の低さと謂われるものも 根源は同じだと考えています。
要は自分の中に軸がない 自分の世界がハッキリとできていないのではないかと考えます。
ここでひとつのサンプルをお見せしますね。
あるクライアントさんの許可を戴いて 自分のこころの森 というワークをやったときの作品を公開します。
①

ワークを始めたばかりのころ 自分の生まれ持ったトーテムたちと どう向き合えばいいのか迷っていました。
トーテムたちも クライアントさんが何を望むのか分からず困惑しています。
そこで 自分のトーテムたちに名前をつけ 対話してもらう時間を二週間ほど取りました。
②

二週間後 それぞれに名前がつき 性格も明確になり クライアントさんと一緒に 独自の こころの国を作ろうということになりました。それぞれのトーテムには きちんとした役割もあります。クライアントさんとの距離も近づいてきています。このころには作る環境も詳細にイメージできています。
③

そこから更に三週間後。まず 豊かな環境にしていくために 新しい仲間のトーテムたちを呼びました。クライアントさんが必要と感じで 自分で選び呼んだトーテムたちです。ユキヒョウや よく太ったシャケ チンアナゴ 鳥たちやクマ ラッコやライオン ジャガーなど多彩なメンバーですね。これは 自分に足りていなかったメディスンを補うために クライアントさん自身が その動物のメディスンを考え選んだものです。
④

そしてさらに二週間後 クライアントさんが完成させた自分のこころの森ですが ガラパゴスのような島 というものになりました。
独自の世界観で成り立っていて 様々な動物たちが それぞれの役割を持ちながら豊かに暮らす島です。
なぜ島なのか?というと 周りと自分との境界線を明確にしたいから という答えです。島にはゲストハウスが設けられ けして他人を拒んでいる訳ではありません。招き入れても良い相手なら この島でくつろいでもらい 動物たちはゲストをもてなし気持ちよく帰って頂くスタイルです。拒みはしないけれども 常駐する場所ではない 自分の世界ということを強く意識されていますね。
そして 最終的には このステキな島には回復の泉が設置されました。
ゲストをおもてなししたトーテムたちを癒し それによってクライアントさん自身も癒されるというシステムです。
今も この方の こころの森は穏やかに保たれています。
周囲と自分の距離感や関係性を 客観視できるようになると 自然と上手に棲み分ける 線引きをすることができます。
この自分の こころの中の森や島 あるいは国でもいいのかもしれませんが しっかりと確立できると他者と自分の比較があっても
あなたの森もいいよね とか あなたの島は独創的だね とか ちゃんと相手を認めることができるようになります。
もう そこには自己肯定感が低い と 他者に勝手に決められる状態はなくなります。
HSPという周りに対して過敏になること 過剰に共感することからも距離をおけるようになります。
なぜなら 自分は周りに反応している 共感し過ぎている この意識があるからこそ 線を引くことが難しくないんですね。
ただ あなたのはあなたので 私のではないよ。
そう言えるのは 自分の中の世界が しっかりと存在していないと難しいんですよ。
相手と自分を同一視したり 共感し過ぎてしまえば境界線がなくなります。
あくまでも 個 としての相手を尊重できる自分があれば この苦しかった繊細さや敏感さは生きていく大きなちからになります。
ひとつ アニマルメディスンの話をするなら ビーバーやライチョウ オオカミなどは 生涯を同一のパートナーと過ごします。
ただ 同じ種族だからといって このパートナーは まったく同じ存在同士ではありません。 別々の親から生まれ 出会うまでには違う経験を重ねています。なので 言ってしまえば 個と個の関係のなかで相手を認め合ったからこそ あなたと私ではなく私たちなんです。ただ 馴れ合いの横並びの関係や 過剰な共感で結びつくと 個と個とではなく ふたつでワンセットという ニコイチの関係しか生みません。これが 後々 人間関係を複雑にし相手に依存させたり 横並びからはみ出すことを許さない 逆に窮屈な関係へと発展します。人間関係のトラブルの多くは こういったことが原因になることが多いですね。
私はへそ曲がりなので このHSPについても 自己肯定感の上げ下げについても懐疑的な立場を取っています。
きちんとした自己認識 自己承認がないのに 自己肯定は無理だとも思っています。
等身大の自分を受け入れない限り いつも自分を計るのは他人の物差しになりますから。
HSPについては ネット社会の情報量の多さは毒だと思いますし 逆に無理にHSPという誰かの概念に自分を当てはめて 苦しむ必要もないのではいかと考えます。繊細で敏感であることは もし人間が野生であるなら生き残るには大切な感覚なんですよ。
そういった資質をひとくくりに 問題 とするのは納得がいきません。
もちろん 自分が何かにあてはまることに 人間は安心感を覚えますよね。でも それだけでは解決には至りません。
自己肯定感に悩む人も HSPに戸惑っている人も 一度 自分のこころの森の風景を整えてみてはいかがでしょうか?
一度 お話したかもしれませんが 目に見える物は必ず移ろいます。それを分かっていながら眺められるのは 自分の中に揺らがない物を持っていればこそですから。
私が伝えて遺したいアニマルメディスンというものは そういった自分の中に確かなもの 揺らがない世界をつくることです。
けしてスピリチュアルに特化したものではなく 精神世界を豊かにすることで 物質的な世界をこころ豊かに生きるものです。
アニマルメディスンカードというものがありますが トーテムやメディスンは この世のすべてに存在しています。
けして アメリカインディアンだけのものではなく トーテミズムを持つ 多くの人たち共通のものなんです。
それを動物たちのトーテムという人と共生する命に特化した物がアニマルメディスンであり 使いやすいツールにしたものがカードです。
私たち人間も生態系の一部であって しかも文明がなければ 生態系の最下層に位置するのが人間です。
毛皮も牙も鋭い爪も 速い脚も腕力も持たない人間は 他の生き物たちに生かされながら今に至ります。
もし この側面にスピリチュアルがあるのであれば それは私たちの無力さと 学ばせてくれた自然そのものへの感謝であり
同時に その自然すらコントールできるものと驕った無知を恥じることだと私は思っています。
自然に対して傲慢で 畏れと敬う気持ちを忘れた現代人だからこそ 自己肯定だのHSPだの考えつくのでしょうね。
そろそろ本当に 考える向きを変えて行かなければ いずれ人間はこの豊かな惑星を滅ぼしていくでしょう。
インディアンは七代先の子どもたちから 今の環境を借りていると考えています。借りているのだから そのまま引き渡さなければいけないということなんですよ。この世界はバランスで保たれていて 存在している命は 一つたりとも欠けてはいけない役割を持っているとも考えられてきました。それが ムカデやゴキブリであっても 毒を持ったヘビや人間なんか瞬殺する猛獣であってもです。
居るということは メンバーとしての役割があって それは人間が理解し得ないものかもしれないだけなんですよ。
今 世界に蔓延しているコロナウイルスについても 全貌を解明するまでには まだまだ時間が必要になるでしょう。
それまでは たぶん また様々な情報が垂れ流される日々が続きそうですね。
情報に振り回されないで 自分はどうしたいのか? こんな時代だけど どう生きようかな? そんなふうに自分の景色を手放さないでくださいね。
めっちょ長くて 申し訳ありませんでした。
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