いいオオカミと悪いオオカミの話。
ネタがないので大昔に師匠から聞いた ネイティブアメリカンの民話でつ。
ある長老が子供たちを集めて こんな話をしたそうな。
長老: わしはなぁ 心の中にオオカミを飼っとるんじゃ。
子供: わぁ~! すっげえ~!(;゚д゚) さすが長老じゃん!
長老: ん?(・ω・) 何をいうておるんじゃ。おまえらも二匹づつ飼っておる。
生まれた時から ずっと一緒におって育ててきたじゃろ?
子供: へっ?(;゚д゚) しらない…。
長老: そんじゃあ教えてやろうかのお。一匹はおまえを良い方向に導くオオカミじゃ。
もう一匹はお前に悪い道をそそのかすようになるオオカミなんじゃよ。
子供: (;゚д゚)…。
長老: ただな おまえがどっちのオオカミにたくさん餌をあげてきたかで
おまえをガイドするオオカミが どっちになるのか決まるんじゃな。
子供: じゃ… じゃあ もう悪いオオカミを育てちゃってたら
悪い人にしかなれないの?(っω;`。)スンスン
長老: いや 餌をもらえなかった方のオオカミは
小さくおとなしく隠れてしまうのじゃ。
育てる方をまちがえたことに気づけば
悪いオオカミをおとなしく小さくすることができる。
ただ怖いのはなあ 悪いオオカミの方が
何でも食べたがる貪欲な性格をしておるのじゃ。
いいオオカミは善き行い 善き心がけだけを栄養にするんじゃよ。
悪いオオカミの方が育ちやすいというのが難しいところなんじゃな。
子供: 長老の中の悪いオオカミはどうしてるの?(´・ω・`)
長老: 今はもう 善いとは何かを知るために
悪いとは何かを教えてくれる相棒になったよ。
善いがあれば悪いもある 光があれば影があるのと同じことなんじゃよ。
おまえたちが歳をとったとき
いいオオカミと悪いオオカミがいい相棒になれるように
しっかり育ててやらなきゃな。
というオチのないお話です。(・ω・)
これも二反律というのが原則になっている話ですが この世に善しかない世界っていうのはないんですよね。
善の概念があるのは悪という概念が同時に存在しているからこそなのです。
なんでこんな話を思い出したのかというのは 自分でもよくは分かりませんのですが
この物語の長老さんでさえ 長い年月の間に悪い方のオオカミを淘汰したとは言っていませんし
淘汰するような存在ではないんだと 言っているのがわかります。
ネイティブの人は 善く生きて善く死ぬ っていう言葉を残していますが
善く生きるということは 善だけを行って生きることではなくて
善も悪も自分のに最初から共存していて どちらも育ててバランスを取り
偏らない人生を生きることなのかなあと思ったりします。
早い話が物事は確実に裏と表があって そのどちらかが欠けたら成立しなくなるということですね。
以前に世間一般でいわれる美男美女の基準は観賞用であると申しましたが
見た目以上に内面が美しい人を求めるのなら この二匹のオオカミを基準にしてみたらいかがですか?
善のオオカミが上手く悪を飼い慣らしているレベルまで到達出来たら
かなり素敵な人になっているはずですわ。(^ω^)
特にオチもないまま終了です。
申し訳ない。(*´・ω・)(・ω・`*)ネー

人気ブログランキングへ