親が子供を虐待したり 子供が家族を殺したり
普通に考えられないことが たくさん起きるなあ とニュースを見てて思います。
世も末だなあ と何気なく言葉に出してしまうことも少なくないですが
この 世も末 という言葉が示すものが 末法の時代 なんだそうです。
お釈迦様の教えの効力が届かない 昔の人からしたら遥か未来のことを指していたようですが
お寺を拠点として戦が起きたり お坊さんが大名と戦ったりした時代にも
この 世も末だなあ っていう感覚に囚われた人は多かったらしいですね。
あくまでも 人が書いた物を読んで知ったことなので らしい のですけど。
今は大きな災害があったり 原発事故があったり
家族っていう単位が崩壊しつつあったり 人のモラルが著しく低下していたり。
確かに 末法 なのかもしれません。
ただ 小説 羅生門の舞台になった時代も 背景こそ違えど同じですよね。
その時代に生きた人も きっと世も末だな…と切実に思ったことでしょう。
そんな時代を経て今があるとしたら
世も末っていうことが次の時代への再生なのかもしれないなあと思います。
この世も末という感覚は 人を現実的な世界から非現実へと逃げる方向に向けてしまう
そんなことも それぞれの時代にはあったようです。
オウムの事件から20年くらい経っていますが
あの当時にオウムに傾倒したエリートの人たちは まさにこの感覚だったのかもですよね。
今の時代が20年前よりもマシになったとは思えませんが
厭世的な感覚から 間違った方向に逃避する人が増えないといいですよね。
私は由緒正しい仏教徒ではないですし 正しく末法思想を理解できているかは疑問ですが
末まで行けば 新しい何かが始まるのではないだろか と
希望的観測で思ったりするのでした。
行くところまで行く というのは怖いことなのですけど
そこに行っちゃう前に 末 があって欲しいと思います。
書いている間に分からなくなってきましたが
今日はここまでです。
オチはありません。(・ω・)
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