今日であの日から まる一年ですね。
言うことよりも やること。
批判することよりも 自分のアタマで考えること。
色んなことを 改めて実感した時間でもありました。
以前 お年寄りと関わるお仕事をしていた時に
戦後の日本を支えてきた人たち
という言葉で お年寄りが どんな存在なのか を伝える言葉を聞きました。
もちろん 戦中の苦労も含めてのことなのですが
今になって その言葉の意味を 突っ込んで考えることになろうとは
その当時は思いもしませんでした。
当事者であった方たちが そういう風にご自身の人生を捉えているのかは別問題として
そういう時代に生きることを諦めない気持ちが
子供の代 孫の代に繋がってきたのは事実です。
今 震災の復興や原発事故の後片付けなど 問題はまだ山積みです。
私が生きている間に このすべてが片付くとも思えないくらい 時間はかかるものだとも思います。
でも 自分が生きている間に何かすることが 次の世代に必ずつながることだとも思います。
その 何か って曖昧ですが 問題を投げ出さずに向き合うことかもしれません。
絆っていう言葉も この一年の間に よく耳にしました。
そのたびに 何とも言えない複雑な気持ちになるのは 今も変わりません。
当事者と ある意味での傍観者の間に温度差が生まれるのは仕方ありません。
その温度差を埋めるものが 絆 なんだと思うのですが
それには同じ経験はしていないけど 自分の問題として相手のことを捉える
そんな気持ちが不可欠な気がします。
もし その気持ちが当たり前に存在しているなら 震災の風化を懸念するような声が
たかだか一年程度で出てくることも無かったでしょう。
そんなことを考えながら それでも大したことは出来ない自分でもあります。
でも 出来ることを出来るだけする。
この一年で自分がたどり着いた答えは 大事にしていこうと思います。
カレンダーや時計で計れる時間だけで つらさや悲しさが癒えるはずはないのですが
被災された方々の時間が 少しずつでも去年のあの日から 進むことを祈っています。
改めて 犠牲になられた方々のご冥福を 心よりお祈りします。
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