同じ願いなのに 内訳の違いがあるんだね

言葉はいくらでも言い換えが利くし どの視点から話すかでも伝わるものが変わりますね。
黒人公民権運動でいうなら ルーサーキング牧師とマルコムXの違いかなあと思います。
ふたりとも 牧師の家に生まれたのは同じですが その後の生い立ちは大きく違っています。
マルコムは犯罪組織と関わり 人種に関わらない 人 の本質に触れたのかもしれません。
刑務所に入り 今まで知らなかった思想に触れて 活動家への道を歩み始めます。
一方のルーサーキングは大学に進学し まだ26歳くらいの若さで公民権運動の指導者に選ばれます。
ふたりとも肉親を差別によって失くしているし 悲しむこと 正したいことは同じでした。
ただ 伝え方が違ったので 方や平和主義 非暴力 方や過激な活動家という印象が刷り込まれました。
なによりもマルコムはスタイリッシュで 人の心をつかむことに長けていたし
誇りを持つことを身なりやスピーチで表現したともいえるかもしれません。
ルーサーキング牧師の I have a drema というスピーチと それが行われたワシントン大行進は有名です。
私も このスピーチは素晴らしいと思っています。
ただ この大行進に集まった多くの人は ルーサーキングの真意まで理解は出来ていなかったとか
このスピーチが会場にいた 多くの人の耳は届かなかったとも云われていますよね。
マルコムはこのワシントン大行進を あまり良い感触では見ていなかったようです。
おなじ黒人解放 差別廃止を訴えて来たのに どうしてなんだろう? と思いますよね。
マルコムは虐げられる側である自分たちが 本当の意味での誇りを持つべきという持論を持っています。
ただ おおきなムーブメントとして そこに乗っかるだけというのを 残念に思っていたのかもしれません。
公民権っていうものの中にも 夢や希望 人としての将来を見据えるひと
自分のルーツ 自分自身の存在に誇りを取り戻すことを主とするひと。
見てたポイントが違うから 共感を得る方法を取るのか 何かを揺り起こす刺激を与える方法を取るのか
違っていて当たり前なのかとも思います。
結局は ルーサーキングもマルコムも 暴力的な活動はしていません。
ふたりとも 非暴力なんです。
でも このふたりの命を奪ったのは ただの暴力でした。
人を殺してはいけない それは何人であっても 誰であっても。
これは このふたりが大前提で伝えていたことなはずなのに そこからずれてる人には何も伝わらなかったんですかね…。
なんだかわかんない内容になりましたが ふたりとも尊敬すべき人には違いありませんのです。

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