たまには開運についてなんて書いてみる

このブログが登録されてるカテゴリーにも 開運 っていう言葉が使われているので
年末でもありますし たまには開運についてなんていうことを 書いてみようかと思います。
でも ハウツーではないので 読んだからっていって参考にはならないかと思いますが。
よくネットの広告でも見かける 運がよくなる とか 金運爆上げ みたいなキャッチコピーがありますよね。
それは 開運 じゃなくて 運上げじゃない?って屁理屈めいたことを考えたりします。
運って上げ下げするものじゃなくて 開くものだから 開運 なんですよね。
運命っていう言葉で考えるのなら 運は開けるもの 命は変えられないもの ということなのかな。
変えられるものと 甘んじて受け止めなくてはいけない変えられないもの。
この組み合わせで 日々が成り立っているのかと考えます。
変えられないものがあるのであれば それが より良い形になることが開運なのかもしれませんね。
もし 人の人生が 運 だけに支配されているのであれば 戦争 災害 いろいろな大きな流れに巻き込まれた人たちは
単純に 運が悪かったね で括られてしまいます。
その時代に生まれて避けられなかったこと これが 命 なのだとしたら その中でどう生きるのか
何を選択するのか? どれだけの選択肢を与えられるのか? この部分が 運 なのではないでしょうか?
私は運の良し悪しには 正直なところ興味がありません。
ひとつの物事の裏と表 捉え方の問題なのかと思うので。
もちろん 一度は裏側である 運が悪い を見てみないことには 良い面のことはわかりません。
だから どっちもないと 人のこころは育たないもんなのかとも思います。
運は開くもの と最初の方に書きましたが これは 人それぞれのメディスンホイールを作ってみて感じたことです。
自分のビジョンを現実のものにしていこうとするとき 開くドアも開き方も 開いた後に どの道をどう歩くのか?
本当に人の数だけ 運の開き方 ビジョンの実現の仕方は存在するんですよね。
どこかに行くこと 何かを買うことや身に着けること。
これは まったく否定はしません。
でも それは ドアを開くためのモチベーションでしかなくて 自分自身しか運の扉を開けないのは事実です。
今を生きている これからも生きていくのは 他でもない あなた自身ですから。
運の良し悪しに一喜一憂するまえに 良くないことは良いことの裏側。
じゃあ どうしたら良い側に寄せられるのか? それが開運なのかと思います。
年の瀬に夢のない話で申し訳ありません。
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